flickr Ron Cogswell:The National Museum of African American History and Culture Washington,D.C.
目次
- 1 Bリーグ(B1,B2) 年収、年俸
- 2 NBA選手の年俸
- 3 日本人NBA選手
- 4 NBAの記録ランキング
- 5 NBAの代表的な選手1
- 5.1 ビル・ラッセル(1934-2022年) C 優勝11 MVP5
- 5.2 ウィルト・チェンバレン(1936-1999年) C 優勝2 MVP4
- 5.3 カリーム・アブドゥル=ジャバー(1947年-) C 優勝6 MVP6
- 5.4 ラリー・バード(1956年-) SF 優勝3 MVP3
- 5.5 マジック・ジョンソン(1959年-) PG 優勝5 MVP3
- 5.6 マイケル・ジョーダン(1963年-) SG 優勝6 MVP5
- 5.7 シャキール・オニール(1972年-) C 優勝4 MVP1
- 5.8 コービー・ブライアント(1978-2020年) SG 優勝5 MVP1
- 5.9 レブロン・ジェームズ(1984年-) SF/PF (※優勝4 MVP4)
- 5.10 ステフィン・カリー(1988年-) PG (※優勝4 MVP2)
Bリーグ(B1,B2) 年収、年俸
B1所属の日本人選手の年俸
B1所属の日本人選手の平均年俸
2016-17年 820万円
2018-19年 1310万円
2019-20年 1610万円
2019年 富樫勇樹 年俸1億円
※日本人選手として初めて年俸1億円を突破
日本代表選手の平均年俸
2019年 4540万円
(※八村塁、渡邊雄太、馬場雄大、ニック・ファジーカスを除いた8名)
「日本国籍を取得したファジーカス・ニックを除くワールドカップ出場のBリーグ所属の日本代表8選手の今季の平均年俸は、3季前と比べて2.2倍の4540万円。」
出典 朝日新聞 2019.11.26 https://www.asahi.com/articles/ASMCT5T5HMCTUTQP015.html
年俸増額の背景
「高額の年俸を支払えるようになった背景には、各クラブの努力と日本代表の活躍がある。入場者数が順調に増え、昨季は259万人になった。それに伴い、入場料収入やスポンサー収入が軒並み増加した。」
B2所属の日本人選手の年俸(推定)
B2所属の日本人選手の推定平均年俸(※B1選手の平均年俸÷3で計算)
2016-17年 推定273万円
2018-19年 推定436万円
2019-20年 推定536万円
※B2のトップチーム人件費がB1の約1/3なので、おそらくB2の年俸はB1の1/3程度。
『B.LEAGUE クラブ決算概要 発表資料 (2018-19シーズン)』
トップチーム人件費 … 選手やベンチスタッフの人件費。
トップチーム人件費 B1クラブ(全18クラブ)合計
2016年 36.1億円
2017年 50.3億円
2018年 62.7億円
トップチーム人件費 B2クラブ(全18クラブ)合計
2016年 12.8億円
2017年 19.1億円
2018年 20.6億円
B1,B2の最低年俸
B1 300万円(税抜)
B2 240万円(税抜)
B.LEAGUE 2019-20 規約
「第86条〔選手の報酬等〕 (1) Bクラブはプロ契約選手に対し、前条第2項に基づきBリーグに提出した契約書に記載された報酬以外の金銭または利益を名目のいかんを問わず供与してはならない。 (2) Bクラブは、選手の技能その他の事情を勘案したうえ、当該選手の能力を最も発揮し得るように、選手の報酬を設定するよう努めなければならない。 (3) B1、B2クラブの選手年俸については、以下のとおりとする。 ① B1:最低年俸は300万円(税抜)とする。新人選手(「選手契約および登録に関する規程」に定める意味を有する。以下同じ。)については、年俸は460万円(税抜)、出場給は5万円/試合(税抜)、勝利給8万円/試合(税抜)を それぞれ上限とする。 ② B2:最低年俸は240万円(税抜)とする。新人選手については年俸460万 円(税抜)、出場給は5万円/試合(税抜)、勝利給は8万円/試合(税抜)をそれぞれ上限とする。」
NBA選手の年俸
USドル/円の為替レート
1980~1985年 1ドル=220~250円
1986~1991年 1ドル=130~170円
1992~2020年 1ドル=80~130円
2023年 1ドル=140円
2024年 1ドル=150円
1992年以降はだいたい
100万ドル=1億円
1000万ドル=10億円
2024年はだいたい
100万ドル=1.5億円
1000万ドル=15億円
NBA選手の平均年俸
平均年俸
※1ドル100円で計算
2014年 457万ドル(4.5億円)
2015年 460万ドル(4.6億円)
2017年 710万ドル(7.1億円)
2018年 780万ドル(7.8億円)
2019年 832万ドル(8.3億円) 中央値(真ん中の選手の年俸)は400万ドル(4億円)
Sporting Intelligence http://www.globalsportssalaries.com
ドラフト 上位指名選手の年俸
1巡目1位なら7億円、10位前後で4億円が相場 ※2019年時点
年俸が高額の理由
「MLB(メジャーリーグ)選手約1200人に対し、NBA選手はたった450人。圧倒的に“狭き門”です。米国では大学バスケも大人気で、大卒ルーキーが即戦力になるのでいきなり高額年俸になる。一方、MLBは3年目までは大きく年俸が上がらない仕組みがある。エンゼルスの大谷翔平(24)があれだけ活躍して年俸7200万円ですから」
週刊ポスト 2019.6.24 https://www.news-postseven.com/archives/20190624_1397705.html
NBA 最高年俸の推移
ラリー・バード 年俸500万ドル以上になった最初のNBA選手
マジック・ジョンソン 年俸1000万ドル以上になった最初のNBA選手
パトリック・ユーイング 年俸1500万ドル以上になった最初のNBA選手
マイケル・ジョーダン 年俸2000万ドル以上になった最初のNBA選手
マイケル・ジョーダン 年俸3000万ドル以上になった最初のNBA選手
ステフィン・カリー 年俸4000万ドル以上になった最初のNBA選手
※1ドル100円で計算
ラリー・バード 1991年 707万ドル(7億円)
マジック・ジョンソン 1994年 1466万ドル(14.6億円)
パトリック・ユーイング 1995年 1872万ドル(18.7億)
マイケル・ジョーダン 1996年 3014万ドル(30.1億)
コービー 2013年 3045万ドル
レブロン 2016年 3096万ドル
カリー 2017年 3468万ドル
ステフィン・カリー 2019年 4023万ドル(40.2億)
日本人NBA選手
田臥勇太(1980年- 神奈川) PG
NBA在籍期間:2004-2005年
ポジション:ポイントガード
身長:173cm
小学校2年の時、ミニバスケットをしていた姉の影響を受けバスケットを始める。
横浜市大道中3年では全国ベスト4に入った。小柄ながらスピーディーなプレーはマスコミの注目を浴び、NBAのパトリック・ユーイングと進研ゼミ中学講座のCMで共演。
能代工業高校時代に、高校総体(通称インターハイ 夏)、国体(秋)、全国高校選抜(通称ウインターカップ 冬)の3大タイトルを3年連続(1996-1998年)で制し、史上初の「9冠」を達成。3年間の公式戦での敗戦はたった1度(1996年東北大会NHK杯 能代工 86-94 仙台高校。この時の仙台高校の監督は佐藤久夫監督。佐藤監督は明成高校(仙台)で八村塁を指導しウインターカップを三連覇(2013-2015年)している。)
1996年6月の東北大会で仙台に敗れて以来、高校生相手に通算150連勝し9冠達成。現役高校生としては史上2人目の全日本候補選手に選ばれた。
2000年、NCAA2部のブリガムヤング大学ハワイ校へ留学。
2002年、大学を中退し、5月にスーパーリーグ・トヨタ自動車アルバルクに入団。チームの準優勝に大きく貢献し、新人王を受賞。
2003年5月、トヨタ自動車アルバルクを退団。同年9月、NBAのデンバー・ナゲッツと契約し、プレシーズン戦3試合に出場したが開幕ロースターには残れず解雇された。
2003年11月、ABA(アメリカ・独立プロリーグ)のロングビーチ・ジャム・アルビレックスと契約。デニス・ロッドマンらとともに2004年4月に優勝を果たす。
2004年9月、フェニックス・サンズの開幕ロースターに入っで日本人初のNBA選手となる。
NBA時代の年俸
年俸108,066ドル(1167万円)
470人中464人目の年俸の高さ
※2004年 1ドル=108円
この年の最低年俸(470番目)がAnthony Millerの$34,118(370万円)
この年の最高年俸がシャキール・オニールの2769万ドル(29.9億円)
2004年9月6日、NBAフェニックス・サンズと契約。
2004年11月1日、フェニックス・サンズの開幕メンバーに登録され、日本人として初めてのNBA選手となる。
2004年12月18日に解雇される。
開幕戦を含む4試合に出場。プレー時間は合計17分、7得点3アシスト。
渡邊雄太(1994年- 香川) SF
ダンクシュート2021年04月号
NBA在籍期間:2018-2024年
ポジション:スモールフォワード
身長:206cm
日本人2人目のNBA選手。
尽誠学園高校(香川)で1年からスターターとして全国大会に出場し、全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会(ウインターカップ)で2年連続で準優勝(2011-2012)している。大会ベスト5に選出される。
2013年3月に高校を卒業した後、9月からコネチカット州のセント・トーマス・モア・スクール(プレップスクール、大学進学のための準備学校)に通い、NCAA1部の大学への入学を目指した。スクールでプレーした2013-14レギュラーシーズンは、1試合平均13得点、6リバウンドを記録。シーズン中の2014年2月、NCAA1部のジョージ・ワシントン大学へ進学することが決定。ジョージ・ワシントン大学卒業後、ブルックリン・ネッツの一員として、NBAサマーリーグに参加。サマーリーグ後の2018年7月、メンフィス・グリズリーズとツーウェイ契約(NBAトップチームと傘下のGリーグチームの両方に所属する契約)を結んだ。
両親
両親はバスケットボール実業団チームの選手。父:渡邊英幸(190cm)熊谷組。母:久美(旧姓 久保田)(177cm)シャンソン、1985-86シーズンに日本リーグMVPを獲得、女子日本代表にも選ばれ主将を務めている。
年俸
2018年 7.72万ドル
2019年 7.95万ドル
2020年 32万ドル
2021年 176万ドル
2022年 183万ドル
2023年 234万ドル(3.6億円)
2024年からBリーグ
八村塁(1998年- 富山) SF/PF
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NBA在籍期間:2019年-
ポジション:スモールフォワード、パワー・フォワード
身長:203㎝
八村 塁(はちむら るい)
日本人3人目のNBA選手。
2019年ドラフト全体9位でワシントン・ウィザーズに入団。
父親がベナン人、母親が日本人。富山県富山市出身。富山市立奥田中学校(2010-2013)、明成高等学校(2013-2016)、ゴンザガ大学(2016-2019)。
中学からバスケットボールを始め、富山市立奥田中学校で第42回全国中学校バスケットボール大会準優勝、大会ベスト5に選出される。高校は、宮城県の明成高校に入学し、インターハイで決勝(2015)、ウインターカップで三連覇(2013-2015)を達成する。
年俸
2019年 446万ドル(4.9億円)
2020年 469万ドル
2021年 491万ドル
2022年 626万ドル
2023年 1574万ドル
2024年 1700万ドル
2025年 1825万ドル
2023.7 ESPNによると、3年総額5100万ドル(約73億4400万円)で合意したと報じられている。
年収
2019年 推定16億円 、スポンサー収入1000万ドル(11億円)『フォーブズ』
フォーブズ 2019.11.7
「パワーフォワードの八村はこれまでに、7つのパートナーとスポンサー契約を締結。来年2月のオールスターブレークまでには、さらに3〜4のパートナーと契約を結ぶことになりそうだ。NBAのルーキーに、これほどのスポンサーが付くのは異例と言っていい。
7つのパートナーの内訳を見ると、グローバルスポンサーが米ナイキの「ジョーダン・ブランド」、NEC、NBA公認のバスケットボールゲーム「NBA 2K」、カシオ計算機、日清食品、日本限定のスポンサーがソフトバンクに三井住友銀行と、著名な企業やブランドなどがずらりと並ぶ。八村が今シーズンにこうしたスポンサー契約から得る収入は、フォーブスの推計で1000万ドル(約11億円)の大台に達するもようだ。全体の収入は、これに選手としての年俸450万ドル(約4億9000万円)が加わることになる。」
河村勇樹(2001年- 山口) PG
NBA在籍期間:
ポジション:ポイントガード
身長:172cm
NBAグリズリーズが2024年10月19日(日本時間20日)、日本人4人目のNBA選手を目指す日本代表の河村勇輝(23)と2WAY契約を結んだとことを正式発表した。
米スポーツ専門局「ESPN」や地元紙「ザ・デイリー・メンフィアン」や「メンフィス・コマーシャル・アピール」などが河村の2WAY契約したことを報道した。
・父親は中学の英語教師でバスケットボール部の顧問をしている。
・福岡第一高等学校ではインターハイ優勝(2019)、ウィンターカップで2連覇(2018-2019)を達成しベストファイブにも選ばれた。
日本の高校からNBA選手になるまで
・田臥勇太(1980生)
高校(日本)→大学(米)留学中退→JBL(日リーグ)→ABA(米独立リーグ)→NBA(2004デビュー)
・渡邊雄太(1994生)
高校(日本)→プレップスクール(米)→大学(米)→NBA(ツーウェイ契約)(2018)→NBA正式契約
・八村塁(1998.2生)
高校(日本)→大学(米)→NBA(2019) ※NBAドラフト会議1巡目全体9位で指名
・河村勇樹(2001生)
高校(日本)→Bリーグ特別指定選手で入団[2020]+大学進学(日)[2020(2022中退)]→Bリーグ→NBA(ツーウェイ契約)(2024)
※2way契約 … Gリーグ(NBA下部)でプレーしながらNBAの試合に出場できる契約。
プロに行ける選手と行けない選手の違いは何? 渡邊雄太の答え
2023年 Jr.NBA Powered by B.LEAGUE Basketball clinic in JAPAN
13~15歳の男女100人が参加
Q.プロに行ける選手と行けない選手の違いはなんですか?
渡邊雄太
「これは一番単純で、努力できる選手かできない選手の違いだと思います。これはNBAでも一緒で、やっぱり能力が高いだとか走るのが速い、高く跳べるとか体が強いという選手はいっぱいいるんだけど、その選手でもNBAにたどり着けないケースがたくさんあって、そういう選手が何ができていないかというと、努力ができてない。去年俺はケビン・デュラントと同じチームでやらせてもらって、めちゃくちゃ練習してるんだよ。もうその練習の濃さがすごくて、一つ一つのドリブルでも、シュートでもパスでもめちゃくちゃ意識してやるの。あれぐらい十何年もNBAのトップに立ち続けている彼がそれぐらいやってるから、俺ももっとやらなきゃなという気持ちにもなるし、だからやっぱりプロに行ける行けない選手の違いは努力できるかできないかの違いかなと思います」
NBAの記録ランキング
NBA最優秀選手賞(MVP)
1位ジャバ―(6回) 2位ジョーダン(5回)、ビル・ラッセル(5回)
通算得点
1位レブロン※2023年時点 2位ジャバ― 3位マローン
平均得点
1位ジョーダン(30.123得点) 2位チェンバレン(30.066得点)
1試合最多得点
1位チェンバレン(100得点) 2位コービー(81得点)
通算3P成功数
1位カリー(成功率42.8%)※2022年時点 2位レイ・アレン(40.0%) 3位ハーデン(36.1%)※2022年時点
3P成功率
1位スティーブ・カー(45.4%) 726/1599
フリースロー成功率
1位カリー(90.8%)※2022年時点 2位ナッシュ(90.4%)
通算リバウンド
1位チェンバレン 2位ビル・ラッセル 3位ジャバ―
平均リバウンド
1位チェンバレン 2位ビル・ラッセル
通算アシスト
1位ジョン・ストックトン 2位ジェイソン・キッド
1試合平均アシスト
1位マジック・ジョンソン(11.2) 2位ストックトン(10.5)
通算スティール
1位ストックトン 2位ジェイソン・キッド 3位ジョーダン
通算ブロックショット
1位オラジュワン 2位ムトンボ 3位ジャバ―
NBAの代表的な選手1
ビル・ラッセル(1934-2022年) C 優勝11 MVP5
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NBA在籍期間:1956-1969年
ポジション:センター
身長:208㎝
NBAチャンピオン:11回 ※最多
NBA最優秀選手賞(MVP):5回
1956年ドラフト全体2位。
1950年代から1960年代にかけてNBAで活躍した伝説的選手であり、ボストン・セルティックスを11回の優勝に導いたことで知られる。恵まれた身体能力と抜群のバスケセンスを武器にリバウンドやブロックショットで才能を発揮し、特にディフェンスの側面では競技に革新的な影響をもたらしたとされ、しばしば歴代最高のディフェンダー、延いては史上最も偉大なバスケットボール選手の一人にあげられる。
ウィルト・チェンバレン(1936-1999年) C 優勝2 MVP4
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NBA在籍期間:1959-1973年
ポジション:センター
身長:216㎝
NBAチャンピオン:2回
NBA最優秀選手賞(MVP):4回
NBAにおける伝説的な選手として知られ、身長216cm、体重125kg(NBAデビュー時は113kg)と当時としては破格の体格と並外れた身体能力を武器に1960年代から1970年代にかけてリーグトップクラスの選手として君臨した。
1試合100得点という1試合最多得点記録を残している。
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カリーム・アブドゥル=ジャバー(1947年-) C 優勝6 MVP6
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NBA在籍期間:1969-1989年
ポジション:センター
身長:218㎝
NBAチャンピオン:6回
NBA最優秀選手賞(MVP):6回 ※最多選出
1969年ドラフト全体1位でミルウォーキー・バックスに入団。
1970年代と1980年代の20年にわたりNBAの第一線でプレーし続けた伝説的センタープレイヤー。
ブルース・リーと共演した『死亡遊戯』をはじめ、いくつかの映画に出演した経験がある。
スカイフック
スカイフックは、リングより高い位置で放つ、打点の高いフックシュート。ジャバーが武器にしていたシュート。高い位置から放たれるフックシュートのため、ディフェンダーがゴールテンディングを犯さずにブロックするのは困難であった。(シュートの際、ゴールよりも高い位置の落下するボールに触れたら反則になる)
年俸
1984年 153万ドル
1985年 203万ドル
1987年 200万ドル
1988年 300万ドル
ラリー・バード(1956年-) SF 優勝3 MVP3
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NBA在籍期間:1978–1992年
ポジション:スモール・フォワード
身長:206㎝
NBAチャンピオン:3回
NBA最優秀選手賞(MVP):3回
1978年ドラフト全体6位でボストン・セルティックスに入団。
バードは他の平均的なNBA選手と比べて身体能力・運動能力には恵まれていなかったが、正確な技術とゲームの流れを読む能力、中距離・長距離シュート、リバウンド、パスの技術に秀でていた。
驚異的な勝負強さを誇り、土壇場でチームを救うプレーが数多くあった。名将として知られ、ライバルレイカーズのコーチでもあったパット・ライリーは「もし試合を決める場面でシュートをまかせるとしたらジョーダンを選ぶが、自分の生死がかかった場面でシュートをまかせるとしたらバードを選ぶ」と語っている。
年俸
1985年 180万ドル
1986年 180万ドル
1987年 180万ドル
1988年 180万ドル
1989年 275万ドル
1990年 150万ドル
1991年 707万ドル
1992年の夏にバルセロナオリンピックで金メダル、オリンピック後に引退
1992年 230万ドル
ラリー・バード・ルール
NBAがサラリーキャップ制を導入したとき、ロースター上の選手を確保するためサラリー総額の上限を超過することを認める特別ルールが作られ、それは「ラリー・バード・ルール(ラリー・バード例外条項)」として知られるようになった。これは選手が一定年数以上同じチームにとどまった場合には選手に与えられる給与の制限を超えてもよいというものだった。このサラリーキャップに対する例外は、1990年代以降選手年俸が高騰する最初のきっかけとなった。
Twitter
Twitterの鳥を模したロゴアイコン「Twitterバード」の旧名称「ラリー」はラリー・バードに因んで名付けられている。
ドリームチームI(1992年バルセロナ五輪)メンバー
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※数字は当時の年齢
ラリー・バード(35) 主将
マジック・ジョンソン(32) 主将
クライド・ドレクスラー(30)
パトリック・ユーイング(30)
ジョン・ストックトン(30)
マイケル・ジョーダン(29)
チャールズ・バークレー(29)
カール・マローン(29)
クリス・マリン(29)
デビッド・ロビンソン(27)
スコッティ・ピッペン(26)
クリスチャン・レイトナー(22)
マジック・ジョンソン(1959年-) PG 優勝5 MVP3
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NBA在籍期間:1979–1991年、1996年
ポジション:ポイントガード
身長:206㎝
NBAチャンピオン:5回
NBA最優秀選手賞(MVP):3回
本名:アーヴィン・ジョンソン・ジュニア、愛称:マジック
ニックネーム「マジック」は、1年生の時のジョンソンがある試合で36得点・18リバウンド・16アシストを記録するのを見た地元の新聞記者が名付けた。
ドラフト全体1位でレイカーズに入団。
1980年代にラリー・バードやマイケル・ジョーダンらとともにNBAの世界的ブームを牽引したスーパースター。そのプレー、実績から歴代最高のポイントガードの1人と評される。
ノールックパス
マジック・ジョンソンに関しては、パスの技術についての評価が高い。パスは多彩であり、全く見ていない方向に繰り出す「ノールックパス」を得意とした。更にパスの前に2度3度とフェイクを入れたり、レッグスルーやハンドリングなどの複雑な動きを絡めるノールックパスはマジック・ジョンソン独自のものである。
年俸
1984年 250万ドル
1985年 250万ドル
1987年 250万ドル
1988年 314万ドル
1989年 310万ドル
1990年 240万ドル
1991年 250 万ドル ※引退1(91年11月) オールスター(’92)には出場
1992年の夏にバルセロナオリンピックで金メダル
1992年 250万ドル
1994年 1466万ドル
1995年 復帰(’96)、引退2(’96)
マイケル・ジョーダン(1963年-) SG 優勝6 MVP5
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NBA在籍期間:1984-1993年、1995-1998年、2001-2003年
ポジション:シューティング・ガード
身長:198㎝
NBAチャンピオン:6回
NBA最優秀選手賞(MVP):5回
1984年のNBAドラフトでシカゴ・ブルズに全体3位で指名され入団(当時の全体1位はヒューストン・ロケッツのアキーム・オラジュワン)。
ジョーダンはレギュラーシーズン、ファイナル、オールスターのMVP三冠を1996年と1998年に2度達成している。
年俸
1984年の夏にロサンゼルスオリンピックで金メダル
1984年 55万ドル
1985年 63万ドル
1986年 73万ドル ダンクコンテスト優勝(’87)
1987年 84万ドル ダンクコンテスト優勝(’88)
1988年 200万ドル
1989年 250万ドル
1990年 250万ドル 優勝1(’91)
1991年 325万ドル 優勝2(’92)
1992年の夏にバルセロナオリンピックで金メダル
1992年 400万ドル 優勝3(’93)
1993年 400万ドル 93-94シーズン開幕前に引退1(1993年10月)
1994年 385万ドル 復帰1(1995年3月)
1995年 385万ドル 優勝4(’96)
1996年 3014万ドル 優勝5(’97)
1997年 3314万ドル 優勝6(’98) 引退2(1999年1月)
2001年 100万ドル 復帰2
2002年 103万ドル 引退3(2003年4月)
総資産
2017年時点 18.5億ドル(2000億円)
ジョーダンの収入源について
wikipedia
『フォーブズ』2017.12.16
「プロバスケットボールリーグNBAの選手を2003年に引退したマイケル・ジョーダンは、その後も新たなエンドースメント契約などにより、プロになって以降の生涯収入を増やし続けている。プロ入りした1984年から今年6月末までの総収入は、総額18億5000万ドル(約2085億円)に達したと見られる。
ジョーダンはプロになって以降、清涼飲料水のゲータレード、衣料ブランドのヘインズやオークリーなど、数多くのブランドとの間でエンドースメント契約を結んできた。なかでも最大のスポンサーとなってきたのは、スポーツ用品大手のナイキだ。ジョーダンがプロ入りしたその年に、5年間で約250万ドルの契約料に加え、商品のロイヤルティーも支払うことで合意した。」
https://forbesjapan.com/articles/detail/18960
エンドースメント契約 … 企業と著名人(スポーツ選手や音楽家)との間における自社製品の独占利用を軸とした契約形態。
『フォーブズ』2016.12.7
「ジョーダンの収入が大きく増えたのはNBAを引退した後だ。スポーツ用品大手ナイキのほか、清涼飲料水のゲータレード、コカ・コーラ、マクドナルドなど12社以上の企業との間で結んだエンドースメント契約が、主な収入源となっている。史上最も偉大なバスケットボール選手といわれるジョーダンは、ナイキと自身のエージェントと共に、スポーツ・マーケティングを新たなレベルへと引き上げたといわれる。バスケットシューズ市場でシェア50%以上を占有し、驚異的な成功を収めている「ジョーダンブランド」を手掛けるナイキは今年、ジョーダンに1億ドル以上を支払っている。そして、今後もジョーダンの“稼ぐ力”は衰えることがなさそうだ。ナイキは同ブランドの売上高を、2020年には45億ドルに引き上げたいとしている。」
https://forbesjapan.com/articles/detail/14499
シャキール・オニール(1972年-) C 優勝4 MVP1
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NBA在籍期間:1992-2011年
ポジション:センター
身長:216㎝ 体重:154kg
NBAチャンピオン:4回
NBA最優秀選手賞(MVP):1回
1992年ドラフト全体1位でオーランド・マジックに入団。
バスケットボール選手の中でも規格外の体格をもつ選手の一人で、NBAの歴史の中で最も偉大な選手の一人と考えられている。
ルーキー・イヤーからバスケットのゴールをダンクシュートで2度も破壊し、これが原因で現在のボードとリングの接合部は、過重を吸収するショックアブソーバー機能を持たせたバネ結合に改良された。
年俸
1992年 300万ドル
1993年 390万ドル
1994年 480万ドル
1995年 570万ドル
1996年 1071万ドル
1997年 1285万ドル
1998年 1500万ドル
1999年 1714万ドル
2000年 1928万ドル
2001年 2142万ドル
2002年 2357万ドル
2003年 2474万ドル
2004年 2769万ドル
2005年 2000万ドル
2006年 2000万ドル
2007年 2000万ドル
2008年 2100万ドル
2009年 2000万ドル
2010年 135万ドル
コービー・ブライアント(1978-2020年) SG 優勝5 MVP1
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NBA在籍期間:1996-2016年
ポジション:シューティング・ガード
身長:198cm
NBAチャンピオン:5回
NBA最優秀選手賞(MVP):1回
ドラフト全体13位でシャーロット・ホーネッツからの指名を受け、ドラフトから1カ月後、レイカーズのベテランセンターとトレードされレイカーズに入団。
17歳でNBA入りして以降、20年間にわたってロサンゼルス・レイカーズ一筋でキャリアを過ごし、キャリア初期からベテランの域に入るまで、長年に渡ってリーグ最高の選手の一人として君臨し続けた。
名前の由来
あなたの息子コビーさんの名前は神戸ビーフにちなんで付けられたと聞いたんですが。いつから日本に興味があったのですか?
コービーの父(東京アパッチのコーチ ジョーブライアント)
「本当だよ! アメリカである日神戸という名前のレストランで神戸ビーフを妻と食べたんだけど、意味を聞いたら有名な肉の名前で、町の名前でもあると聞いておもしろいなと思ったんだ。
子どもが生まれたらジョーとかトムとか普通の名前じゃなくて何か面白い名前を付けたいねと話していたんだ。変わった名前がよかったんだよ。」
※コービー・ブライアント(Kobe Bryant)
http://www.yokosojapan.net/mt/archive/000408.html
年俸
1996年 101万ドル
1997年 116万ドル
1998年 131万ドル
1999年 900万ドル
2000年 1013万ドル
2001年 1125万ドル
2002年 1237万ドル
2003年 1350万ドル
2004年 1417万ドル
2005年 1594万ドル
2006年 1771万ドル
2007年 1949万ドル
2008年 2126万ドル
2009年 2303万ドル
2010年 2480万ドル
2011年 2524万ドル
2012年 2784万ドル
2013年 3045万ドル
2014年 2350万ドル
2015年 2500万ドル
総資産
2020年 6億ドル(650億円)
2020.01.30
米経済誌「フォーブス」ではバスケットボール界のカリスマの6億ドル(約650億円)という規格外の財産に注目している。
https://the-ans.jp/news/102789/
レブロン・ジェームズ(1984年-) SF/PF (※優勝4 MVP4)
wikipedia
NBA在籍期間:2003年-
ポジション:スモールフォワード、パワー・フォワード
身長:206㎝
NBAチャンピオン:4回 ※2022年時点
NBA最優秀選手賞(MVP):4回 ※2022年時点
大学には進学せず、NBAドラフトにアーリーエントリーした。
高校を卒業後、レブロンは2003年のNBAドラフト全体1位でクリーブランド・キャバリアーズに指名され、18歳でNBA入りした。
在学中にナイキと7年間で総額9000万ドル、他にもアッパーデックと5年間で総額500万ドルという契約を結ぶなど、商業的にも注目を集めていた。
NBA史上最高のバスケットボール選手の1人として考えられており、マイケル・ジョーダンと比較されることが多い。
年俸
2003年 401万ドル
2004年 432万ドル
2005年 462万ドル
2006年 582万ドル
2007年 1304万ドル
2008年 1441万ドル
2009年 1577万ドル
2010年 1450万ドル
2011年 1602万ドル
2012年 1754万ドル
2013年 1906万ドル
2014年 2064万ドル
2015年 2297万ドル
2016年 3096万ドル
2017年 3328万ドル
2018年 3565万ドル
2019年 3743万ドル
2020年 3921万ドル
2021年 4118万ドル
2022年 4447万ドル
2023年 4760万ドル
ステフィン・カリー(1988年-) PG (※優勝4 MVP2)
wikipedia
NBA在籍期間:2009年-
ポジション:ポイントガード
身長:188㎝
NBAチャンピオン:4回 ※2022年時点
NBA最優秀選手賞(MVP):2回 ※2022年時点
2009年のNBAドラフトでゴールデンステート・ウォリアーズから全体7位指名を受け入団。
歴代最高のシューターと名高く、試合中に多くのスリーポイントシュートを決め、NBAのオフェンスに革命をもたらしたとも言われている。父親はNBAのホーネッツやキャバリアーズで活躍したデルカリー。
3ポイントシュート
カリー最大の特徴は、NBAの歴史という観点から見てもずば抜けた3ポイントシュート能力である。優れたボールハンドリング技術でシュートスペースを作りだし、極度に省略化されたシュートフォームで高確率の3ポイントシュートを沈める。従来のシューターは味方のアシストやスクリーンを利用して、オープンになった状態で3ポイントシュートを打つが、カリーはシュートセレクション(シュートに適したタイミング)などお構いなしに、通常では考えられない頻度とタイミングで打ってくる。
年俸
2009年 271万ドル
2010年 291万ドル
2011年 311万ドル
2012年 395万ドル
2013年 988万ドル
2014年 1062万ドル
2015年 1137万ドル
2016年 1211万ドル
2017年 3468万ドル
2018年 3745万ドル
2019年 4023万ドル
2020年 4300万ドル
2021年 4578万ドル
2022年 4807万ドル
2023年 5191万ドル
2017.7.1
ステフェン・カリー(Stephen Curry)が、リーグ史上最高額に上る5年総額2億100万ドル(約225億7000万円)で新たにチームと契約することになった。米スポーツ専門チャンネルESPNが30日に報じている。
https://www.afpbb.com/articles/-/3134155